「読書について」

読書家を名乗れるほどでは到底ないのですが、それでも普段から書物に触れる機会が多い身としては、「読書」がどのような言葉で語られているのか、興味があります。

 

多読を勧める言説は現在も巷に溢れていますが、ショウペンハウエルは多読至上主義に待ったをかけます。曰く、「読書は、他人にものを考えてもらうことである」と。自分の頭で考えることをしなければ、多読はむしろ有害だ、というのです(多読そのものを否定するわけではない)。自ら「思索」してこそ、他の様々な知識や思想と結びついた体系のなかの有機的な一部が獲得される。

普段の読書が実のあるものになっているかどうか。ショウペンハウエルのいう「思索」をこそ大事にしたいものですね。

 

関係する本について。

学習は知識をドネルケバブのようにペタペタと貼り付けていくものではなく、有機的体系をその都度組み換えながら新たに獲得されたものをそのなかに位置づけていくようなものである、ということが書かれていました。ショウペンハウエルの言っていたことを心理学の立場から記述した、という感じでしょうか。

 

だいぶ前に読んだこちらの本も。

読書について

読書について

  • 作者:小林 秀雄
  • 発売日: 2013/09/21
  • メディア: 単行本
 

「濫読」の重要性が書かれていて、気になる作家を集中的に読むという読書法なんかも紹介されていました。他にも「国語という大河」という文章では、娘が持ってきた国語の問題が悪文だと思っていたら実は小林自身の文章だった、というエピソードが書かれていて、国語科教育に関わる者としてはなかなか楽しいです。

 

乱読といえば、これもありました。

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

乱読のセレンディピティ (扶桑社文庫)

 

一見、ショウペンハウエルとぶつかる主張にも思えますが、「ナメるように」じっくり丁寧に読むばかりでは生まれない知的刺激が乱読によって得られるというのは、「思索」こそが大切だというショウペンハウエルの主張と軌を一にするものではないでしょうか。

 

気付けば、本の紹介ばかりになってしまいました。自分の言葉を持つのは本当に難しいことですね。